はじめまして
藤本亮と申します。
【年齢】
・1983年生まれ
【出身】
・愛媛
【職歴】
・ネット工事 3交替工場 ホスト 営業 建設現場作業員 クリーニング 派遣で工場 など(内ニート3回)
~はじめに~
職歴をご覧いただければ判るように、
僕は、自慢できるような大した経歴もなく、ニート期間も多数あり、社会的にまともな人間とは言えないのかもしれません。
また、かなりの田舎者で、とても裕福とは言えない家庭で育ちました。
僕が小学生の時、父親が亡くなったこともあり、
同世代の人たちよりは、少し不自由な環境であったと思います。
インターネットで稼ぐための方法論や正しい道筋も完全に理解できたので、
現在はパソコン一つで独立し経済的にも時間的にも自由になれるように、ブログを作成しインターネットビジネスを実践し日々切磋琢磨しているといったところです。
といっても、難しいことは何もしていません。
パソコンのスキルとしては、一応、昔、大学生の時にPCは触っていたので、
メールやネットサーフィン、Wordなど、簡単なことだけができる程度です。
普段は自分の生い立ちなど、昔の事を人に話すことはないのですが、
ここでは、僕を知ってもらう意味でも記していこうと思います。
~第1章~暗黒の少年時代
『あ゛ーーーー!!』
『ぐぎゃああああああああああ!!』
断末魔とまではいかないまでも、夜更けに結構な大声で泣き叫ぶ男が、
今夜も小さな家の畳の上でのた打ち回っていました。
「また始まったか…」
僕は、連日続くこのパターンに胃痛を感じながらも耐えるしかない状態に、いつしか苦痛を覚えている自分とは別に、それを無感情で俯瞰して見ているような自分もいるという、不思議な体験をしていました。
おそらく僕自身の無意識が僕の精神を崩壊させないため、瞬間的な現実逃避をマスターさせていたのかもしれません。
兄のいつもの発作がまた今夜も始まってしまった事を、
僕は横目で確認して、笑うでも泣くでもなく、何とも言えない表情でただ目下の畳を見ていました。
我が家では、父が他界してからというもの、
はや2年が経とうとしていました。
この日も僕は、なんとか兄の発作が落ち着くまであと数時間、遠巻きに兄をなだめつつもどうやり過ごすかを考えていました。
すると、隣の台所から突然何かを落としたような音が聞こえ、
数秒後…
母の金切り声と共に僕たちの居る部屋の戸が開きました。
”手には包丁”
”血走る眼”と金切り声
『ヤバい本気の眼だ』
母親がヒステリーなところがあるのも日常茶飯事でしたし、兄と喧嘩していることもよくある事でしたが、さすがにこの日ばかりは危険を感じずにはいられませんでした。
刃物を両手で構え、こちらに向かってくる母の異常っぷりに、僕は愕然としながらも瞬時に「なんとか抑えないといけない」と思いました。
近所から見ても明らかにおかしい、めちゃくちゃな家庭でしたが、当時の僕にとってはその世界が全てだったし、もう家族の誰かが居なくなるのは嫌だったので、何とか二人の仲裁に入ることしか考えられませんでした。
良くも悪くも人生は一日で変わる~幼少期~
僕は父と母、兄という
いたって普通の4人家族で育ちました。
家は裕福とは言えず、むしろ貧乏でした。
節約・倹約が口癖の母。
小学生の頃の僕の小遣いは、月500円くらいだったように思います。
駄菓子屋くらいしか行けませんでした笑
僕は幼いながらも、節約と倹約を余儀なくされていたのでした。
父はサラリーマンで、朝から夜中まで仕事という、かなりハードワークをさせられていました。
僕ら兄弟は寝ていて知りませんでしたが、日付が変わることがザラだったようです。
僕の記憶では、父は休みの日は疲れて寝ている後姿が多かったように思います。
遊んで欲しいときもありましたが、あまりワガママは言えませんでした。
このころから、僕の中での”働くということへの抵抗”が芽生えていたのかもしれません。
大人の仕事のことなど、なにも分からない子供ながらも、
親から受ける雰囲気は、苦労しか感じられなかったからです。
頑張っても頑張っても全く報われているようには見えない。
そんな姿を見せられていれば、自然と仕事というものに嫌悪感が生まれます。
30歳を過ぎた今でも、『頑張りたくない』『楽に生きたい』『自由でありたい』
という想いが強いのは、この幼少期の影響かもしれせん。
貧乏ながらも平穏な日々だったある日、
僕が小学校5年生のある時から、その環境は一変しました。
「父親の突然死」
朝、薬を飲むため苦しそうに起きてはきたものの、意識を失い、そのまま息を引き取ったそうです。
僕は当時、もう学校に登校していたので、その現場は見ていませんでした。
担任の先生に呼ばれ、父親が倒れたということだけ聞かされ帰宅することになりましたが、不安で仕方ありませんでした。
『心臓病を患っていたことは知ってたけど、その発作とかが起こったのだろうか?』
などと、あれこれ考えましたが、
家に着くと母も兄も泣いていて事の全てを把握しました。
当然、僕も悲しくて泣きましたが、
事態は悲しみだけでは終わりませんでした。
お金の問題が発生したのです。
父の残してくれた生命保険。
しかし、
「元々、多くもなかった保険金が税金でごっそり持って行かれた」と母が嘆いていました。
当時は悲しみに打ちひしがれてにいたのに、
さらに追い打ちをかけるような出来事だったと話していました。
この時から僕の中で『国はなんて冷たい仕打ちをするんだろう』
という気持ちが芽生えました。
葬式や家のローン、税金で持って行かれ、結局手元には何も残らなかったそうです。
しばらくは家族3人、悲しみにふけっていましたが、僕らは食べて行かなければいけません。
遺産のない状態なので、
生活費を稼ぐため母は仕事に出るようになりました。
しだいに母はストレスからか常にピリピリするようになり、
兄も何だか様子がおかしくなっていきました。。。
暗黒の思春期
統率のとれなくなった我が家では
思春期の兄が力を持つようになっていきました。
『兄、登校拒否』
兄は父を尊敬していたためか、
”指導者”を失って生きる希望もなくなってしまったのかもしれません。
彼は中学の途中から学校に行かなくなり引きこもりになりました。
それは高校になっても変わらず、
なんとか入学できた高校も、結局中退してしまいました。
しかし、そんなことは個人の人生なので、勝手にすればいい話なのですが、
兄が引きこもりになったことにより、一番被害を受けたのは、弟である僕でした。
毎日のように、何時間もテレビゲームの相手をさせられ、
夕方などは、竹刀(しない)を持ち出し、
屋外で戦い?のような、打ち合いをする日々。
別に剣道部でもなかった僕らは、
もちろん防具など無しです。
ちなみに、竹刀がなかった頃は”木の棒”でした。
いま思うと危険なチャンバラをしていた気がします。
近所に住んでいた祖父が見に来た時、危ないと思ったのでしょう。
見かねて竹刀を2つ買ってきてくれました。
(やめさせようという考えはなかったようです・・・)
冬場など竹刀で叩かれると苦痛以外の何物でもありませんでした。
タチの悪いことに、逃げようとしたり、
ゲームの対戦で僕が勝ちすぎると、
兄は暴れ出し、わめき散らし、
誰も手がつけられないので、ふすまや壁は穴だらけでした。
叫び声は、基本的に『あ』に『゛』がついたような声で、
まるで赤ん坊がフルパワーで怒り、泣き叫ぶのと同じようなものでした。
夜中に叫ばれては近所迷惑ですし、
何よりこちらの精神状態も参ってしまいます。
歳も離れていて、力の差もあり、抵抗できなかった僕は、
とにかく言うことを聞き、なだめるくらいしかできませんでした。
”誰かが相手をしておかなければならない大きな子供”という状態です。
時に、あまりに兄がキチガイのように暴れすぎるので、
耐えかねた母がキレてヒステリーを起こし、
台所から包丁を持ち出して兄に向け、迫ってくるという大変な事態もありました。
僕は兄をなだめていたものの、母の行動は直感的に危険すぎると判断し、僕はなんとか母をくい止め、兄の居る部屋から遠ざけ、
「大丈夫だから、なんとかするから」と、
今度は母をなだめるというワケのわからない板挟み状態に。
兄が逆上したら血の海になる可能性が大でしたから、
もう僕は、”どちらもなだめる役”に徹するしかありませんでした。
この時から、僕は二人から逃げることが出来なくなりました。
”自分がいなければどちらかが死んでしまう”
このような脅迫観念に駆られ、
ひたすら自分を抑え込む日々になりました。
いくらムカつく嫌な兄でも家族です。
ましてや、つい最近父親が亡くなって悲しい思いをしているのに、
さらに誰かいなくなっては辛すぎます。
それに兄も以前はいつも楽しく、弟想いの良き兄だったのです。
その記憶も手伝ってか、
さすがにこれ以上家族を失いたくない僕は、ひたすら耐えるしかありませんでした。
このように、僕は自分の感情をほとんど抑え込んでいたので、
僕には反抗期というものはありませんでした。
この”反抗期が無い”というのは、ある意味危険なことかもしれません。
その反動が大人になってから現れる場合があるからです。
そして、その反動は社会人として普通に生きるには大きな障害となってしまうのです。
当時は、
『1か月くらい家出したらどうなるだろうか。』
もうグレて遊び呆けてやろうか、とも思いました。
同年代の友人たちが不良になっていく姿を見て、
逆にうらやましく思いました。
『彼らはなんであんなに自由に家出できるんだろう。』
うらやましく思うポイントが明らかにおかしいのですが、
当時の僕には不良グループが自由に見えて、とてもまぶしく映りました。
自分は学校が終われば、帰りたくもない家に帰らなくてはいけない。
普通に考えれば家があるのはありがたい事なのですが、
毎日そんなことを思ってしまうようなそんな思春期を過ごしました。
泊まりに行ける友人もいませんでしたし、
祖父の家に逃げても、結局兄の居る家に戻されてしまう上に、
逃げたことを追求され、さらに長時間拘束されてしまうのが目に見えていたので、
結局僕には「グレて家出してやる!」という選択肢はありませんでした。
この心の中の葛藤サイクルは毎日のように頭の中をぐるぐると回って、それは僕が中学、高校になっても続きました。
ある意味、地獄だったのかもしれません。
自分にとってこの頃のことは、あまり思い出したくはないものです。
「よくうつ病にならなかったものだ」と今でも思います。
夜中ひとり暗い部屋で、何度死にたいと思ったことか。
何度、もう消えてしまいたい、と思ったことか。
「自分はなんで生まれてきたんだろうか…?」
「なんのために生きているのだろう…?」
「生まれてこなければよかったんじゃないか…?」
こんな事を毎晩のように思っていました。
今思い出しても、危ない少年時代でした。
もしかしたら当時は半分うつ病だったのかもしれません。
その自覚はないので、今は何ともいえませんが、
危ない精神状態でいたことは確かです。
この時の僕を支えていたのは、
唯一、自由になれる夜中の寝る時間でした。
一人になって、一人で考える時間が持てる。
自分の部屋があったことが、救いでした。
唯一、束縛の地獄から解放される時間。
僕は”自由を感じられる時が一番幸せなんだ”という、
普通の家庭なら抱く事はなかったであろう感情が芽生えたのはこの頃でした。
結局、兄の恐怖から抜け出せたのは、僕が高校2年生の途中くらいからでした。
僕自身、腕力がついてきたことや、
兄も目標を見つけたのか落ち着きを取り戻したこと、
そして僕だけが祖母の家に移り住み、実家を離れたこと、
などの要因が重なったためです。
こうした、わけのわからない制限と抑圧の生活からようやく解放された僕は、成人していくにつれて束縛を嫌い、とにかく強く”自由”を求めるようになっていきました。
~第2章~ことごとく挫折していく20代
最初に、僕が自由を夢見て本業以外に手を出したのは、就職してすぐのことでした。
現在のようなパソコンを使ったネットビジネスなどではなく、MLMと呼ばれるネットワークビジネスでした。
たまたま出会った同世代の男がネットワークビジネスをやっていて、たまたま同郷の出身だったこともあり簡単に意気投合しました。
彼にそのMLMの魅力について色々と熱く語られました。
『どうやら権利収入を構築すれば自由になれるらしい…』
自由になれるという話なので、当時の僕はすっかりやる気になってしまいました。
でも、うまく人を勧誘していくことが出来ず、
知り合いや友人を誘ってみましたが不審がられ、
当時身近にいた人達は遠のいて行きました。
その上、全く成果も上げられず、結局そのMLMはほんの数カ月で辞めてしまいました。
実はその時、すでに会社も辞めていたのです。
(毎日サービス残業が許せなかったのと、自由が欲しかったため)
今思えば、若かった…というかバカだったなぁと思います。
ネットビジネスとの出会い
その後、僕がネットビジネスと出会ったのは2007年頃でした。
その当時は、自分にはパソコンが無かったため、ネットカフェで情報を仕入れていました。
『どうやら、自由になるためには稼げる情報を買う必要があるようだ…』
胡散臭さも感じつつも、「その情報商材とやらを買えば何とかなるんだろう!」という楽観的思考で進みました。
まずはパソコンを買い、次にその情報を買ってみました。
しかし、、、
簡単に稼げるという情報商材を買ってみたものの、
「スパム的なことをやれ!」
ざっくり言うとそんな内容で、実践するにはかなり抵抗がありました。
スパムとは迷惑行為のことです。
その情報商材の内容は人に迷惑をかけたり、ネット上にゴミをまき散らすようなものでした…
『こんなことして稼いでも誰の役にも立たないじゃないか…』
結局僕は悪人にはなれず、他の情報を探しました。
『もっといい方法があるはずだ!』
とくに根拠はありませんが、この膨大な情報にまみれたネット空間なら、もっとまともな内容で、簡単にお金を稼ぐ方法があるに違いない、と思っていました。
ですが、その期待はことごとく打ち砕かれました。
その後に買った情報商材は、
とても実践できるものではなかったり、
詐欺的な内容で、もはや「だまされた」としかいいようのないものばかりでした。
『結局そんな甘い話はないのか…』
ネット上の簡単に稼げる系の話しは、全部幻想で嘘っぱちなのか…
僕は、ひどく打ちのめされ、あっさり挫折しました。
ネットで稼ごうという事自体をあきらめたのですね。
そうしてしばらくは、転職をくり返しながら、普通に過ごしていました。
せどりに挑戦
しかし僕は、どこの会社に行っても、不満は募るばかりでした。
『このまま年をとって大丈夫なんだろうか?』
将来への不安が膨らむのも当然です。
「低賃金でこき使われ、サービス残業はあたりまえ」
「疲れ果てて他のことに挑戦する体力すら残っていない日々」
「世の中不景気だから仕方ない、どこの会社も似たようなもんだという風潮」
生きてるのもイヤになるくらいの暗い現実。
何をするにもお金の心配、日々の生活の心配と将来の不安がつきまとう。
そんな不自由さに、ふつふつと嫌気が差してきた僕はもう一度、
『ネットでなんとかできないだろうか?』
と淡い期待を抱き、3度目のニートになりました。
そして、僕は本のせどりに挑戦することにしました。
というより、毎度のことですが、
突然会社を辞めてしまったので、即金で収入が必要だったのです。
この時は、アフィリエイトなど、時間のかかることはダメだと思っていたのでせどりを選んだのですね。
在庫に頼るビジネス
やってみて分かったのですが、せどりは、
「仕入れ」「出品」「梱包」「発送」という風に、やることが色々とありました。
しかも、1商品ごとに、この作業があるので、数が増えるほど大変になっていきました。
本のせどりは基本的に薄利多売です。
「梱包」「発送」を外注出来るほどの数も売り上げもなかったので、どの作業も全て自分でやらなければなりませんでした。
僕はどちらかというと完璧主義で、あまり手抜きをしたくない性格だったので、
結果、一日中何かしらの作業をしなければいけない状態になっていきました。
そうして解ったのは、
『これじゃ自由には程遠い』ということでした。
自由を求めて始めたのに、朝から晩まで作業している。
なのに、たいして稼げない。
むしろバイトしてた方がよっぽど稼げるし…
という程度の金額しか稼げませんでした。
一応ネット上で見る限りは、せどりで生計を立てている人はいるようでした。
しかし僕の場合は、そもそも仕入れ自体が全然うまく行かず、
1日3店舗回っても、仕入れが0冊という日がザラでした。
専業のライバルたちが先にごっそり買っていくため、
「1冊もゲットできない」ということが起こってくるわけです。
向いてないというのか、地域差のせいなのか、努力が足りないのか…
それでも古本屋の品だしのタイミングが合えば、多少高額で売れそうなものが見つかる時もありました。
いずれにしても、
こんなに古本屋の品出し時間や、ライバルの多さで簡単に売り上げを左右されるビジネスでは続けること自体が困難です。
もし今後たくさん努力して、稼げるようになれたとしても、
「これをずっとやり続けなければならないのか」と思うと、
『自分の求める自由とは少し違うな』と思えてきたので、
せどりからは次第にフェードアウトしていきました。
在庫に依存せず自由になれるビジネス
そうして、僕はまた稼げる情報を求めて、ネット上をさまよっていました。
簡単に楽して稼げる系の、よくある疑わしい広告は、
調べてみれば詐欺的なものばかりなのでスルーしつつ。
本当に自由になるには、いったいどうすればいいのか?を模索しました。
そうすると見えてきたのは、
不労所得が入ってくる仕組みを構築して所有するということでした。
そして当たり前で正論なことですが、まっとうなビジネスを展開・継続するという、極めて王道的なことをビジネスとしてやればいいという事でした。
そして、成功者で悠々自適な自由ライフを送っている人は、多くがネットビジネスで成功していること、さらにいうと、ほとんどの人がアフィリエイトで成功しているということに気づきました。
やはり僕の欲しい自由を実現するにはアフィリエイトしかない。
そう確信はしたものの、この時は何から始めればいいのか分りませんでした。
何にしても、アフィリエイトは成果が見えるまで時間がかかりそうだし、貯金も底をつきそうだったため、生活を維持するために、
派遣で工場に勤務することにしました。
~第3章~そして自由への道を突き進む
なぜ正社員で仕事を探さなかったのか? というと、
自分には時間がたくさん必要だと思ったからです。
以前、勤めていた長時間勤務の会社ように、またどこかの会社で正社員として働けば、残業・休日出勤などで副業をする時間が限られてくるからです。
まともな会社が増える事を祈りますが、
いまだに正社員はサービス残業が当たり前の世界です。
「生活費でほとんどが消えて行くわずかな給料」をもらうために、過酷な労働を強いられます。
会社に自分の席を置いてもらうために、一切 嫌とは言えず、無駄に時間を浪費させられるわけです。
まるで昔の奴隷制度のようですね。
もしあなたが、現在そんな会社に居る場合は即転職をおすすめします。
あなたの貴重な命を他人のために無駄に削ってはいけません。
”他人の会社”を大きくするために、
自分の貴重な時間を、捧げなければいけない。
「もうそんなバカなことはできない」
そう強く思うようになりました。
サラリーマンとして、どれだけ会社に貢献したとしても貰える報酬はたかが知れています。
そもそも勤めている会社にどれだけ尽くしても自分のものにはなりませんし、会社の建物も設備も利益も、すべてそこの経営者である他人の所有物です。
これは営業職をやっている友人の話しですが、
その彼は、年間1億円の売り上げを出していても、給料は「ほぼ変わらない」と言っていました。
1億円も売り上げれば利益もかなりのものだそうですが、
「自分にはほとんど還元されない、100万くらいくれてもおかしくないだろう…」と彼は嘆いていました。
やはり『雇われる立場のままでは、自由で明るい未来など期待してはいけない』という現実を目の当たりにした瞬間でしたね。
自由な人生を送りたいなら自分で稼ぐ力を磨けばいい
金銭面での待遇や職場環境など、雇う側の対応が気に食わないなら、そんな会社は辞めて転職するか、起業して独立するしかありません。
ただ、自由な人生を望むのなら雇われでは不可能です。
独立するしか道はないのですね。
独立…つまり自分の力でお金を稼ぐということです。
ということは、現段階で自分が出来る事はひとつしかありませんね。
あなたが一番「誰に時間を捧げるべきなのか」は、もはや言うまでもありません。
「会社」ではなく”自分”に時間を投資するのです。
サービス残業で他人の会社に貢献している場合ではないということです。
僕たち人間は自由に生きる権利があります。
人間本来の姿を取り戻すという意味でも、
自由に成りたいと思うのは全くもって正常なことです。
そのためには自分自身に時間を投資する必要があるんですね。
自己投資のキーポイントは金額ではなく時間
これに気付いてから僕は正しいアフィリエイトビジネスの勉強に集中しました。
成功者がなぜ成功できたのかを分析することから始まり、消費者心理とコピーライティングに焦点を絞り、自分がやらなくていいことはツールに任せたりしながら時間を作り、とにかく持てる時間を投資していきました。
そうしている内に、だんだんと本当に自由になるための正しい道筋や手法、仕組みなどが分かってきました。
実はネットで不労所得を稼ぐためのカラクリは、
誰にでも構築可能だったのですね。
不安ながらも続けてみましたがアフィリエイトはやはり本当に自由になれます。
それが確信に変わった今では迷うことなく進むことができるようになりました。
自由には種類がある
ちなみに僕のいう「自由」というのは、
・お金…経済的な自由
・時間…時間的な自由
・人間…人間関係の自由
・場所…住む場所の自由
この4つの自由のことをいいます。
アフィリエイトでは主に、これら4つの自由が手に入るのですね。
アフィリエイトは自動的に不労収入が入ってくる仕組みですから、お金の心配もなくなります。
働かなくても収入が入ってくるので24時間すべてが自分の時間です。
雇われから解放されるので上司も部下も同僚もなく、面倒な人間関係がなくなります。
パソコンがあればどこででも仕事が出来るので、住みたい街や海外に移住することもできるようになります。
これだけの自由が手に入ると分かっているなら、やらないわけがないですよね。
「独立」とか「自分で稼ぐ力を身につける」などというと、
とても大変に思えるかもしれませんが、何も数百万~1千万ほど初期投資がいるというわけではありません。
むしろ初期費用もほとんどなく、始めることが出来ます。
要るのはネット環境とサーバー代と、あとは時間節約のためのツール代くらいでしょうか。
リアルビジネスやせどり転売などと比べればアフィリエイトは格安でビジネスをスタートできるのですね。
アフィリエイトはリスクが限りなく低いにも関わらず4つの自由まで手に入る可能性に満ちあふれています。
30代で引退するということ
良い学校に行って、良い会社に就職して、老後は年金で暮らす。
これが日本人の模範的とされるパターンですが、定年を迎えるまで自由になれないというのはツライものがありますよね。
僕の場合は、60歳になるまで体を酷使し続けなければならないと考えただけでゾッとします。
ネットを使って自分でお金を稼ぐ能力を身につければ別に20代だろうと30代だろうと引退出来てしまうのです。
とくにアフィリエイトなら収入の流れを自動化できますから、現役引退が可能になってくるのですね。
それにもし仮に年老いてから自由な時間をもらえたとしても、やりたいこと全てに挑戦できるような体力は残されていないと思うのです。
どうせなら、気力も体力もあり余っている30代のうちに自由を手に入れてしまった方がいいと思います。
僕は子供の頃からずっと自由を求めてきました。
でもその想いとは裏腹に、親や学校、世間などからは「汗水たらして働くことこそが正義」といった自由とは正反対の価値観を植え付けられてきました。
当然ですが、そのようなサラリーマン思考ではいつまでたっても自由にはなれません。
自分以外の人や物に働いてもらうことを常に意識しておくことが重要です。
僕らのアフィリエイトビジネスで言うところの、ブログに働いてもらうと言うことですね。
自分が歯車の一部となって、汗水たらして働いているようでは、ただの労働者と同じです。
やらなくていい事はやらない、という潔さは必要だと思います。
PS.
ここまで、大変長い文章を読んで頂いてありがとうございます。
僕は自由に対する想いは人一倍強いと思っています。
これまでの人生で自由になるために様々な事に挑戦してきました。
どうにかして4つの自由を手に入れたい、
面倒な仕事なんかせず、上司にこき使われる事なく、朝も起きずに昼まで寝たい、通勤ラッシュのストレスから解放されたい、キツイ肉体労働なんて歳とってまで出来るワケが無い…
様々な想いからとにかく自由を求めていました。
ネットビジネスを知ってから10年以上も色んな方法を模索してきたおかげで答えが見えて来たのです。
つまり自由になるための手順も道筋もすべて把握できるようになったわけです。
僕などが大変おこがましい事なのは分かっていますが、今はそれを教える立場になりました。
そうです、人生の集大成とも言えるビジネス講座を始めたのです。
自分以外の仕組みに働いてもらう方法、そして自由になるために必要な手順、戦略、スキル、マインドセットなどを無料講座にして公開することにしました。
役に立たない情報はいっさい排除した実践的な講座になっています。
4つの自由を手に入れるために必要な知識や方法など、これは初心者はもちろん経験者にも役立つ内容に構成してあります。
この講座があなたの人生を変える手助けになれたら、と心から思っています。
なので分からない事や疑問、雑談でも結構ですから、いつでも気軽にメッセージを送ってくださいね。
ここまで読んでくださったことも何かの縁です。
感想でも、現在のあなたの境遇でも遠慮せず送ってみてくださいね。
このご縁に感謝しています。
あなたの人生に幸せがどんどん訪れますように。
藤本亮